安楽死について私が思うところ。相模原市 連続障害者殺傷事件

先日、神奈川県相模原市の障害者福祉施設で19人が殺害される大事件が起きてしまいました。

犯人は、施設職員で、以前より「障害者は不幸だ」とか「障害者は安楽死させた方が良い」などと言っていたそうですね。

犯人の男は大麻を使用していたということもあり、薬物の力で今回の異常行動に至った可能性も考えられます。

当然、犯人の凶行は許されることではありません。仮に彼らが安楽死を望んでいたとしても、人の命を奪う権利など当然ないことは言うまでもありません。

この度の痛ましい事件により命を落とされた方へ、心からご冥福をお祈りします。

誤解を恐れずに申し上げますが、私は安楽死そのものに関しては肯定派です。そういった意味では、犯人の考え自体が全く分からないわけではないというのが私の意見です。

安楽死とは

 

【】内は引用部分になります。

 

【死期が迫っている患者に耐え難い肉体的苦痛があり、患者が「早く逝かせてほしい」との意思を持っていることが明らかな場合で、医師が積極的な医療行為で患者を死なせること。】

【医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。】

出典:http://www.songenshi-kyokai.com/living_will.html

私が安楽死について肯定的になった経緯

私自身、21歳の時に難病にかかり、5年後の生存率が80%という数字を知り絶望した経験があります。また、25歳の時には肺ガンと診断された経験があります。

当時の私には、若くしてガンになると進行が早く、苦しむという認識がありました。それが正しかったかは分かりませんが。

そういった経緯から、治療をしても治る見込みがない状態に陥ったのなら、苦しまずに楽に死にたいと考えたことがきっかけです。

病院・施設での目の当たりにした現実

 

医学的な管理が必要な場合や、自宅で生活することが難しい場合に、療養型病棟や介護老人保健施設(老健)などに入ります。

大まかに言うと、人生の最期をそこで過ごすという感じです。

ある程度自立して歩いたりできる方から、まったく身動きが取れなくても意識はある方、全くコミュニケーションが取れない方など様々な方がそこで生活されています。

実際のところ、意識がある方の中には、死期が近づいてくると「点滴は止めろ!これは延命だ!」「もう早く楽に死にたい」「いっそのこと、楽に殺してくれ」などの声が大勢の方から聴かれました。

意識がある場合は、なんとか抵抗ができることもあると思います。ただ、問題は意識がない場合やコミュニケーションが取れない場合です。つまり、本人の意思確認ができない時。

重度の脳梗塞に陥り、植物状態や遷延性意識障害などと言われている、いわゆる脳死状態。瞬きはしていて心臓は動いているけれど、意識はないに等しい状態がこれにあたります。

本人の意思確認ができない状態で家族が「出来るだけ延命を」と言った場合、様々な症状に対し、生かすための治療が行われる。

食事が出来なければ、胃に穴を開け、チューブで栄養を入れる胃瘻(いろう)を作るか、鼻からチューブで栄養を入れる経管栄養をされてしまうことが多いのが医療現場での現実です。

本当に本人が生きたいと望んでいるのか

コミュニケーションが取れないということは、本人が何を感じているかも分からないのです。苦しいから早く楽になりたいと考えているかもしれません。逆に、家族と過ごす時間をできるだけとりたいと考えているかもしれません。

本当のところは誰にも分からないわけです。

ある脳梗塞の患者さんの話

その方は、いわゆる脳死と考えられていましたが、ある日「まばたき」でコミュニケーションがとれることが分かったのです。

その方が機械を使って発したメッセージは、医師や家族が期待していたものとは異なり、「早く生命維持装置を外してくれ」といった内容だったそうです。

この話を聞いたときは、相当に考えさせられました。

医療者側は当然、「治す」ために仕事をしている。つまり「生きる」ために医療を提供していて、家族も大抵の場合は生きていてほしいと願っていることが多いのです。その理由はともかくとして。

ところが、患者がみな同様に「生きたい」と願っているとは限らないのです。

安楽死は法律で禁止されている

欧米などでは、安楽死を合法としている国・州がありますが、日本では認められていません。

日本で、家族からの依頼で患者を安楽死させたことにより医師が有罪になった事件があります。

 

日本では、本人がどんなに苦しい思いをしていて楽に死にたくても生かされてしまうというのが現実なのです。

安楽死が認められたとして

結局のところ、安楽死が合法化され、例えばスイッチ一つで眠るように逝ける時代が来たとします。(注射一本でも良いですが)

とはいえ、簡単に決断できることではないと思います。家族の想いもありますし、家族が反対した場合、安楽死を実行することは難しいと思われます。

本人・家族の想いだけではなく、物質的なものが障害になることもあるでしょう。

安楽死を実行した後

安楽死の難しいところは、当人が亡くなった後も家族は生き続けるということです。残された家族が喪失感や悲しみを抱えたまま生き続けることにならないように配慮する必要があるでしょう。

そうならないために、生前に十分な判断能力があるうちに自分自身の死生観(死に対する見方、考え方)を伝えておいた方が良いと考えます。

なかなか折り合いがつかないこともあるかもしれませんが、本人の死生観を尊重することも必要ではないでしょうか。

十分に話し合えないまま、そういった状況に陥る場合もあると思います。その時は、当人だったらどう最期を迎えたいだろうかと考えてみることが重要になるでしょう。

 

最終的には、本人・家族が同じ想いで安楽死を望み実行したとしても、その判断が正しかったかどうかは、きっと答えが出ません。

本当に間違っていなかったのか、と残された家族が一生苦しむことになるかもしれません。

しかし、このように考えておくことで、「家族としての役割を果たせた」と感じられたなら、深い悲しみや喪失感を背負って生き続けることは避けられるかもしれません。

 

何のために生きるのか、生きたいのか

仮に脳梗塞や脊髄損傷の後遺症で首から下が一切動かせない状態になったとします。場合によっては、声も出せません。

その状態では生きている価値がないと言う方もいらっしゃいます。しかし、実際には会話ができない状態だとしても、コミュニケーションをとる方法はあります。

仕事をされている方もいらっしゃいますし、家族と楽しく暮らしていらっしゃる方もいるのです。

いったい何のために「生きる」のか、「生きる」とは何なのか。誰のための命なのか。結局のところ、答えは出せないテーマなのかもしれません。

私自身は、不治の病に侵され、末期に耐え難い肉体的苦痛・精神的苦痛がある状態で、その先にあるものが死なのであれば、その前に楽に死にたいと考えています。

そのような状況を大前提としてですが、「生きる」以外の「死ぬ」という選択肢があってもいいと思うのです。

おわりに

医師は本来、「治す」・「命を助ける」・「生きるため」に治療を行い、医療を提供する立場です。それを使命にしている方が多いことと思います。

そういった視点に立つと、安楽死は真逆の行為にあたります。だからこそ医師自身の判断や言葉で命を終わらせることになるため、非常に責任が重くなることが考えられます。

法律で認められていないという問題以前に、精神的な重圧・負担は計り知れないものがあります。そういったことも、合法化が難しい要因になっているのかもしれませんね。

しかし、私は、本当に精神的にも身体的にも苦しみながら最期を迎える方をみてきました。

自分自身が死と向き合う機会があったこともあり、「人生の幕引きは自分の意思で」という考えは変わりません。

世間の方の認識がどうなのかは分かりませんし、私の勉強不足や誤った認識で極端な考え方になっているかもしれませんが、正直な気持ちを書きました。

何か認識が誤っている部分などがございましたら、コメントよりご指摘ください。

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